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陸奥国南東部(後の岩代国)の会津地方では

陸奥国南東部(後の岩代国)の会津地方では、802年(大同2年)年創建の恵日寺が強大な勢力を持ち、11世紀から12世紀に最盛期を迎えて陸奥国から北陸地方北部まで影響力を持った。

平安時代後期になって中央からの統制が弛緩すると、俘囚の長安倍氏が陸奥の北部(後の陸中国)、奥六郡で力を持つようになった。安倍氏は国司に従わず、前九年の役で戦って滅亡した。このとき出羽国から参戦した清原氏が陸奥・出羽両国で勢威を持ったが、後三年の役で滅亡した。これにかわって奥州藤原氏が陸奥・出羽の支配者になった。彼らはいずれも陸奥・出羽の地元で力を伸ばした一族で、都から派遣された国司が統治するという律令制の大原則を侵食し、奥州藤原氏にいたって自治的領域を築くようになった。奥州藤原氏の勢力圏は陸奥国全域におよび、南部となる現在の福島県域では、信夫佐藤氏が信夫郡を本拠地として宮城県南部、山形県南部、福島県中部、後に恵日寺衰退後の会津を支配した。福島県南東部(分国後の磐城国)では、前9年の役に従軍した後石川郡に定住した清和源氏の石川氏や、浜通り南部を支配した桓武平氏の岩城氏もあったが、いずれも藤原氏に服属していた。
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奥州藤原氏は後の陸中国域(岩手県)にあたる平泉を本拠に、平氏政権のもとでも半独立の状態を維持した。しかし1189年に源頼朝の攻撃を受けて滅亡した。

頼朝は、陸奥国に関東の武士を地頭として配置した。奥州土着の武士は衰退し、鎌倉以来の武士が戦国時代まで陸奥国に割拠した。その中で、葛西清重ら葛西氏が下総国葛西郡から奥州へ移り、平泉の統治を任され、「奥州惣奉行」職に就任した。守護は置かれなかった。

なお、平安時代の陸奥国および出羽国は、北東北領域で境界不明瞭なことが多く、平安末期には、奥州藤原氏の勢力範囲の秋田県領域(仙北三郡など)も陸奥国と見なされていたようである(→出羽国)。

鎌倉時代後期には蝦夷大乱が起きた。

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2009年06月05日 10:05に投稿されたエントリーのページです。

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